カイム塗料の歴史

19世紀:シリケート塗料の発明

140余年もの歴史を誇る独Keimfarben社(カイム社)のシリケート塗料。その歩みには多くの人々が関わっており、中には歴史上よく知られた人物や、近代建築の巨匠なども登場します。国や時代を超えて彼らに共通していたもの、それはより良いものを作らんとする情熱でした。まずはカイムのシリケート塗料の発明に関わった、三人の人物をご紹介します。

物語は18世紀、文豪ゲーテから始まる

シリケート塗料の主原料である水ガラス(ケイ酸ナトリウム)は、中世期から錬金術の材料として知られてはいたものの、有効活用には至っていませんでした。

この水ガラスの魅力に取りつかれ、近代科学的なアプローチを試みたのが、文学のみならず物理化学や鉱物学などにも取り組んだヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)です。1768年には、彼が水ガラスを用いた実験を行った記録が残されており、自叙伝「わが生涯より 詩と真実」にもその様子を綴っています。

この研究は実用化には至らなかったものの、のちに発明されるシリケート塗料の原案となりました。

イノベーションを後押ししたのは、バイエルン国王の情熱

時はゲーテの研究から100年ほど下ります。

南ドイツ・バイエルン国王ルートヴィヒ1世(1786-1868)は芸術の奨励に熱心で、特にイタリアのフレスコ画に魅せられ、自分の国でもそれを再現しようと切望していました。フレスコ画は、壁面の漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」、つまり生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描く、発色の美しさを大きな特徴とする絵画です。

ところがバイエルンで描かれたフレスコ画は、非常に短命でした。工業地帯として発展途上だった当時のバイエルンはスモッグで覆われ、石灰を主原料とするフレスコ画の塗材にとって、空中の酸化物は命取りだったのです。また、イタリアよりも寒冷で湿潤な気候によって、下地となる漆喰面がもろくなり、絵の劣化に拍車をかけました。

そこでルートヴィヒ1世は、フレスコ画の塗材と同じような働きをし、より耐候性・耐汚染性の高い塗料の開発を、バイエルンの識者たちに命じます。中でも注目されたのが、のちのKeimfarben社(カイム塗料)の創始者であるカイム氏が、ミュンヘンで行っていた水ガラス塗料の研究でした。

発明家カイムは化学者であり、職人でもあった

アドルフ=ヴィルヘルム=カイム(1851-1913)は、アウグスブルクの工科学院で化学を学んだ学者であり、陶芸の修行を積んだ職人でもありました。

ゲーテの水ガラス研究に触発されたことが、カイム氏の出発点でした。彼もまた水ガラスという物質に魅せられ、これをバインダー(結合剤)として活用し、耐久力と美観を兼ね備えた塗料を作りたいと熱望するようになります。自身の化学の知識と、陶工としての経験をもとに、地道に研究を続けていましたが、国王の支援が大きな追い風となりました。

苦節10年、ついにカイム氏は1878年、無機顔料と鉱物系素地との間に永続的な化学結合を形成するバインダーの開発に成功。「壁画制作のために壁の石膏に鉱物塗料を固定する」技術により、ドイツ帝国特許を取得しました。最初のシリケート塗料「KEIM Purkristalat」 (カイム・ピュアクリスタラット)の誕生です。

この第一世代のシリケート塗料は顔料と水ガラスを使用時に混合する二液性のもので、140年経った現在も現役の製品として、歴史的建造物の補修などに用いられています。

[参考動画:ピュアクリスタラットの塗装]

「壁画」から「建築」の塗料へ

フレスコ画用として発明されたシリケート塗料の、初期の事例は壁画の塗装・補修がメインでした。

スイスのシュタイン・アム・ライン (ドイツ語で「ラインの宝石」)に、カイム社が19世紀に塗装した建物が現存しています。その名の通りライン河のほとりに佇む小さなこの街には、壁面を美しいフレスコ画で彩った中世の建物が林立しています。ルネサンス期の貴重なフレスコ画の命を伸ばしたのは、ほかならぬカイムのピュアクリスタラットでした。中でも1885年に塗装された「ホテル・アドラー」(正式名称:Gasthaus “Weißer Adler”)の壁面は、現存する最古のピュアクリスタラットで塗装した物件です。この他にも、1900年に塗装された町役場などが残っています。

同じくスイスの別の街シュヴィーツの市庁舎は、オリジナルが塗装されたのが1891年。部分的な補修は行っているものの、大部分は当時のままです。

どの建物も塗装面の状態が非常によく、発色が鮮やかで、100年以上の長い歳月を経ているようには見えません。19世紀に塗装されたドイツ国内の建物は、戦火によってほとんど失われてしまっているので、これらは往年のカイム社の技術力を伝える貴重な遺産と言えます。

 19世紀、壁画の塗装からはじまって、ノイシュバンシュタイン城などの城砦宮殿にも使用されたカイムのシリケート塗料は、のちに「100年塗料」の名で呼ばれるようになります。「100年」という数字は単なる比喩ではないことは、現存する建物を見れば一目瞭然です。

そして20世紀以降、モダニズム建築の隆盛と共に、建築用塗料として花開いていくことになります。

 19世紀、壁画の塗装からはじまって、ノイシュバンシュタイン城などの城砦宮殿にも使用されたカイムのシリケート塗料は、のちに「100年塗料」の名で呼ばれるようになります。「100年」という数字は単なる比喩ではないことは、現存する建物を見れば一目瞭然です。

そして20世紀以降、モダニズム建築の隆盛と共に、建築用塗料として花開いていくことになります。